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今回の作品について②

2020.7.6

本日無事に4回公演終えました。ご来場いただいた皆さま、ありがとうございました。ゲネプロは土砂降り、初日は月の出る夜、2日目は雨、3日目は強風の夕暮れ、千穐楽は西日射す夕方と4公演とも全く異なる顔を見せる公演でした。徹底的に空間を作り込める劇場ではありえないことが「いま」「ここ」でやるパフォーミング・アーツのライブ性をより高めていたように思います。それが良かったのかどうかはわかりませんが、この時期にやる「ライブ」としての価値はありました。

公演も終わったので少しネタバレ的なことにも触れていこうかと思います。おそらく最後の創作ログになるのでは?

今回の作品、「触れる」ということにフォーカスした部分があります。もちろん「距離」というテーマから考えれば当たり前なのかもしれませんが、クリエイションがコロナ禍真っ只中だったということが理由としては大きいかもしれません。今回のコロナ禍でコロナウイルス由来で亡くなる方は「独り」で最後を迎えるということをニュースや志村けんさんの訃報などから想いました。荼毘にふす瞬間にも立ち会えず、次に会う時は既に骨壷。
感染拡大を防ぐために、という理由は正義なようで、とても残酷。リスク回避よりも優先すべきことがあるのではないか?大切な人が亡くなるときにそばにいてあげられないというのはとても辛いことではないのか?命より大事なこととは?このような考えが巡ったのは、緊急事態宣言下の自粛期間中に飼い猫が亡くなったことも関係しているのかもしれません。なんにせよ、この「触れたいのに触れられない」という状況は非常に残酷なのに、すんなりと受け入れられてしまっていることは疑問でした。触れたいのに触れられない、自分が触れることで死を運ぶ感覚…これらはこの4ヶ月弱で非常に強まってしまい、表現にも影響を及ぼすレベルになっています。

もう一つ「触れる」ということに関して。こちらの理由は至極私的なことなのですが、この作品のリハーサルが始まる前に他のリハーサルでリフトワークに失敗し相手に怪我をさせてしまったことがありました。完全に自分の油断が生んだ事故でした。常々身体は暴力的だと思っていたり、コンタクトワークが自分のダンスの基に据えていたにも関わらず、自分の不注意で相手に怪我をさせたのはショックでした。

上記のような理由があって「触れる」ということから改めて始めてみたいという思いがありました。

抽象性の強い作品に対して色々説明していくというのはなんとも無粋とは思いつつも、それがこの創作ログの目的でもあったので書きました。言葉で説明しようと思えば言葉で説明できるかもしれません。しかしそこにはない余白や拡がりを信じ、面白いと思っているから身体表現、ダンスをやっているのです。
言葉で綴り続けた3ヶ月弱のクリエイション。楽しんでいただけたのなら、幸いです。

三橋 俊平