「観客」について
2020.5.15
コロナ禍が始まって、色々と日々考える中で今後の上演芸術における観客の在り方というのは大きく変わるのだろうな、と思いました。劇場内では新たにガイドラインが設けられ、ソーシャルディスタンスを守るとこのようになるそうです。正直個人的にはバカらしいしナンセンスだな、と思ってしまいます。
基本静かに横並びで観賞する劇場の形式で、そこまでやらなくてはいけないのでしょうか。もちろん感染リスクは最小限に抑える努力をするべきですが、過度にウイルスに怖がりすぎてしまうのは考えものではないかと思います。怖がり始めたら観劇中に災害に見舞われることもあるわけですし、劇場への移動中に事故に遭う可能性だってあるわけです。
今回のコロナ禍にて不安や自粛要請という不可解なものであぶり出された、ゼロリスクを取ってしまう態度というのは向き合うべきものだと思います。
とはいえ、公演を主催する身としては観客の方々のことは最大限考慮しなくてはいけません。客席数を最大客席数に対していくつに設定するのか、どのくらいなら不安も少なく、かつ観劇体験として充実したものになるのか。もちろん上演する身としては収支なども考慮しなくてはいけませんし…いやはやなんとも悩みどころです。「観に行きたいけど、密な空間には行きたくない」など、この現状に対してそれぞれ抱えている不安の強さというのは異なるでしょうし。ならオンライン配信もするか?ということも考えますが、上演芸術に関わる身としては躊躇する感覚もあります。そもそもオンラインにどのレベルのもの(ex.画質、カメラワーク、回線状況)を求めるのか、なども含めて。
主催側で色々と考慮設定した上で観客としてどう判断するか、そのことがコロナ禍以前よりも問われていくような気がしています。どんなに配慮されていても絶対の安全はあり得ない中で、各々が責任を負って自由に判断すること。言われてみれば当たり前で素晴らしいことなのかもしれませんが、そのことに慣れていない身としては戸惑いもあります。
舞台は観客との「共犯関係」の上に成り立ちます。上演中に観客がスマホを操作したり大きな声でおしゃべりしたりすることで一気に舞台の力は弱まってしまいます。オンライン配信ではスマホ片手にポテトチップスを食べながら観賞、ということもできるでしょう。途中で再生を一時停止して、トイレに行くこともできます。しかし劇場の、客席に身を置くとなるとその様にはいきません。コロナ禍においてオンラインで色々と享受することに慣てしまった今、他人と一緒に集まって一つのことを体験する。そのことへの飢えもあるでしょうし、不自由さや不安を感じるかもしれません。これからも、これまで以上に「共犯関係」で舞台を立ち上げていきたいです。